▼1967年、中学校、卒業。都立小山台高等学校、入学。
▼高校在学時、羽田闘争(1968年)をきっかけに学生運動に参加する。某セクトの集会に参加したり、デモに出たり、ビラをまいたりしていたのだが、自宅に刑事が来て両親にバレ、親の手により大菩薩峠にある山小屋に軟禁される。また、中学時代から始めた柔道は、ヘルニアを患ったためにこのあたりで断念。
▼このころはSF作家になりたいと本気で思っていた。とにかく、いつもSF小説ばかりを読んでいて、学校の図書室にあるものは読み尽くしてしまったので、図書委員の権限を行使して、自分の好きなSF小説ばかりを購入していた(笑)。図書新聞の取材にかこつけて光瀬龍氏に会いに行ったのもこの頃だ。光瀬氏は高校生の僕にかなり丁寧な対応をしてくれた記憶がある。
▼三島や太宰といった一般的に文学作品と呼ばれるものは、ほとんど読まなかった。それらの作品を読んだのは社会人になってからだ。その代わりに、高校時代の僕はヘッセを読むようにSF小説を読んだ(という自負がある)。ハインラインやブラッドリーなど、膨大なSF小説の中で、恋愛の疑似体験をしたし、年長者とのつきあい方などの「処世術」めいたものまでを学んだ。この頃SF小説の中で出逢った様々なキャラクターは、僕の作品のなかに登場するキャラクターのベースになっている。
▼そんなふうにSF小説好きな現実逃避型の人間であった一方で、前記のとおり学生運動(政治運動)じみたことにも足をつっこんでいたので、当時の仲間からはヘンだと言われていたが、僕にとってはごく自然なことだった。問題はどこが自分にとってすっぽりハマる居場所か、ということで、僕はそれを探していただけだった。少なくとも高校時代の僕にとって、学校や家にいるよりも街頭でビラを撒いているほうがハマっていたし、さらに言えば、街頭でビラを撒いているよりも一人きりの部屋でSF小説を読んでいるときのほうがハマっていた(というか完全に現実を忘れて没頭できた)。
▼当時の僕にとって、政治的なラディカリズムを抱えながら、もう一方で非常に逃避的だったということは、表裏一体で矛盾しなかった。どうしても耐え難い現実、耐え難い日常が目の前にあって、そこから「どう道を踏み外すか?」という手段の差があるだけだった。今風に言えば、クスリをやったりヤンキーになったり、コンビニにたむろするのとあまり変わらないわけで、僕らの時代はたまたまそれが政治運動だったというだけに過ぎない。だから、マルクスなんてわざわざ薄っぺらいのを選んで二、三冊読んでみた程度で、なにも読んでいないのと同じ。読んでりゃ寝ちゃうし、学習会なんて行かなかった(笑)。唯一トロツキーはさんざん読んだが、これもトロツキーの政治論文ではなく、亡命時代のトロツキーの話やトロツキーに関する本を読んでいただけだ。政治運動に興味があったわけではもちろんなかった。テロリスト関係の小説などを興味を持って読み始めたのもこの頃だ。
▼ちなみに、小学校から中学校にかけては紀行ものばかり読んでいたが、それも今思えば現実逃避の一環だったような気がする。あとは昆虫記。シートン動物記も読んだけど、ファーブル昆虫記のほうが好きだった。これもまた虫そのものに興味があったわけじゃない。捕虫網を振り回した記憶はほとんどないし、虫にさわるのは好きじゃなかった。たぶん、目の前の現実じゃなければ、なんでもよかったんだと思う。
▼映画はそんな生活の延長線上にあった。どこにもいたくないから、映画館にいた。映画にアカデミックな興味なんてもちろんなかったし、だいたいろくでもない映画ばっかり観ていた。
▼1970年/高校、卒業。