◆大学時代

▼1970年、東京学芸大学教育学部美術教育学科、入学。

▼大学に入学して映画研究会に入るが、すぐにケンカ別れ。自ら「映像芸術研究会」というサークルを設立して、8ミリ、16ミリで自主映画を撮り始める。本人が出演している秘蔵映像もある。1本目は女性がモデルの、ドラマも何もない変な映像的作品。2本目の『屋上』は50分程度あり、カメラマンを務めた。ちなみに研究会設立の3年後、金子修介監督が入部してくる。

▼人間関係が苦手な僕には、実写の制作スタイルは向かなかった。だから、可能な限り人間関係のない映画ばかりを撮っていた。スチール写真を取りまくって構成したり、木を撮ったり、水面を撮ったり、鳥を撮ったり……。人間は撮りたかったけれど撮れなかった。せいぜい気に入った女性を適当に騙して撮るのが精一杯(笑)。ドラマを作るつもりはなにもなかった。

▼それまではジャンルに関係なく映画を見ていたが、大学時代は系統的に観るようになった。最もよく観た時期には1年間に1000本近い映画を観ていたと記憶するが、その4割はどうやらピンク映画の類い。映画は大学の下宿があった国分寺や池袋の名画座でよく観ていたが、よく行ったのは京橋のフィルムセンター。最も好きだったのはアンジェイ・ワイダなどで知られるポーランド映画や、ベルイマンなどのスウェーデン映画。モノクロだが画面がとにかく美しかったことや、テーマが重苦しく、一種の宗教性があったこと、それが当時の好みだった。

▼これだけ多くの映画を観ていれば、そのほとんどを駄作と思うのだが、つまらないとは感じず、「なんでこう撮るのかな」「俺ならこう撮るのにな」ということを考えながら観ていた。いわば、反面教師としての財産となったわけである。

▼今振り返れば、学生時代、すべての根底にあったのは現実への危機感。平たく言えば、現実逃避だった。最終的にアニメーションにすっぽりハマってしまったわけだが、それは、今も何一つ変わっていない。延々と現実から逃亡し続けてきた総和として、今の僕がある。

▼結果、大学には6年間在学。1976年、東京学芸大学教育学部美術教育学科、卒業