思えば、僕の青春時代というのは、あまりにも華がなく、汗くさいものだったような気がする。中学高校時代は柔道部に入っていたため、ほとんど女性には縁がなく、学生時代に千葉の海で友達のナンパにつき合わされたことくらいしか思い出せない。ナンパはきっとあれが最初で最後だろう。
柔道部の練習はきつくて、それは小林まことの漫画『柔道部物語』そのものだった。あまりにもそのものだったので、あの漫画を読んだときは泣けてきた。ただ、ひとつ、クラリネットを吹いていたような少年が猛練習の結果、全国大会で優勝できるほど上達するという点を除いては……。もちろん僕があの漫画の主人公ほど猛練習をしたかといえば、それは定かではないが、それでもそれなりに(自分としてはけっこう)練習した記憶はある。けれど、僕に関して言えば、まるで強くならなかった。試合になれば、工業高校のマッチョに簡単に投げられてしまうわけで、そんなドラマティックなことは、やはり漫画の中でしか起こり得ない。けれども、それ以外のディテールに関して言えば、僕の柔道部生活は『柔道部物語』のまんまだった。だから、なおさら哀しい。合宿ではただひたすら体重を増やすためにブロイラーのごとく先輩に食べさせられ、おかげで当時の僕はてっぷりと太っていた。そして、あのウサギ跳び。今では何の意味もない根性と忍耐の訓練だが、結局、そのおかげで僕は高校の途中で腰を壊して柔道から離れることになってしまった。それでも柔道をギリギリまで続けていられたのは、これも『柔道部物語』に書いてあるとおり「人を投げ飛ばす快感」「自分より大きな人間を投げ飛ばしたときの快感」を知ってしまったからだ。あの快感は一度知ってしまうと忘れがたく離れがたいものがある。そのように、僕の中学高校時代とは「柔道部」をベースに「SF小説」と「学生運動」(これは高校に入ってから)に彩られた(彩られてはいないが)青春時代だった。
大学に入ってからの生活にも、引き続き華はなかった。学生時代はとにかく映画とバイトに明け暮れた生活だった。16ミリの撮影機材を買うためにバイトし、フィルムを買うためにバイトし、現像代を払うためにバイトした。役者として参加してくれた人達にお金を借りて撮影し、撮影が終わってからは、借りたお金を返すためにガソリンスタンドなどで、延々とバイトをしていた。フィルムの現像はラボに入れるときにはお金がかからないので、とりあえず突っ込んでおいて、お金が貯まってから取りに行くという感じだった。だから、お金がなくて取りに行けなかったフィルムもけっこうある。学生時代の最後に撮った映画のフィルムは結局、お金がなくて取りに行けなかった。思えば、あの頃は何もかも自腹で映画を撮っていた。今の僕は「映画は他人の金で撮るものだ」を信条としているから、もう二度とあんなふうに映画を撮ることはないだろう(だから、自分の金を投じて映画を撮ろうというキャメロンの気持ちがわからない)。
今から思えば僕が学生運動に参加したのも、そこに大層な問題意識や主義主張があったというわけではなく、目の前の現実から逃避できる場所であればどこでもよかったのかもしれない。そして、もう一つ付け加えるなら、そういう「場」に参加すれば、学校の枠を越えて、素敵な女の子と出逢えるんじゃないかという甘い想いもあった。僕だけでなく、当時学生運動に参加していた多くの若者(特に高校生)の中にはそういう思いを抱いていた人間は少なくなかったと思う。もちろん、そんな都合の良い出逢いがあるはずはなかったのだけれど(笑)。特に僕が参加していたような、いわゆる「無党派/ノンセクト」と呼ばれる集団は、昼頃からのそのそと起き出して、夜は酒を飲んでといった自堕落な生活をしていたので、真剣に運動をしていた「セクト」の人間からはけっこう白い目で見られていたように思う(いや、確かにそうだった)。まあ、真面目にやれば学生運動も朝六時に起きてビラを作り、街頭でそれを配ったりと、大変な作業なのだ。だから、当時の僕らが彼らから白い目で見られていたとしても、それはそれで仕方がない部分も多々あった。
そんな辛気くさい生活にどっぷり浸かりながらも、大学時代はいろんなことをした。とにかく膨大に映画を観たし、映画も撮ったし、実は「尺八同好会」なるものにも参加して、尺八を練習したりもしていたのだ。つまり、大活躍だった(笑)。今振り返ると、ずいぶんとパワーが有り余っていたのだな、と我ながら感心する。
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